武蔵が生きた時代は、戦国の世から泰平の世に移り変わった激動の時代で、多くの剣豪が生まれた時代でもあった。もし、武蔵を現代のテレビゲームに登場させるとすれば、武蔵と互角に勝負できる剣豪は誰だろう。
 柳生十兵衛? 塚原卜伝? 荒木又右衛門? あるいは近藤勇? ドラマに登場する人物はおなじみだが、剣豪と呼ばれる人々の生き方を知る記録は少なく謎に包まれている。


剣豪の誕生

 公家に対して源氏や平氏などの武家が台頭した時代、弓術・馬術が武術として発達して武士は「弓取り」と呼ばれた。重たい甲冑に身を固めているため、馬上で弓を射ることが戦闘には有効で、馬を使った接近戦では、敵を倒すために重たく大きな刀や大長刀を使った。
 やがて鉄砲が伝来すると、重たい甲冑を身につけていては動きが鈍くなるため戦闘に不利となり、動きやすい甲冑が開発されるに伴い武術も高度で複雑なものになっていった。高度な技を修得するためにはかなりの修行の積み重ねが必要となるなか、天才武芸者が現れ、彼らは諸国をめぐり武者修行を続けた。強者として有名な武芸者との決闘によって名をあげ、自分の流派を興し、弟子をとって様々の流派が生まれていった。

剣の流派

 神話に登場する軍神を祭る関東の神社では、神官達が武術の鍛錬に励んできた。タケミカズチ神を祭る鹿島神宮やフツヌシ神を祭る香取神宮は、日本における剣法の聖地で、新当流の塚原卜伝(つかはら・ぼくでん)や天真正伝香取神道流の飯篠長威斎(いいざさ・ちょういさい)を流祖として多くの剣豪が生まれた。
 京では、鬼一法眼(きいち・ほうがん)という謎の人物が鞍馬の衆徒に剣術を教えたとされ、そのなかには武蔵と戦った吉岡憲法の流祖や源義経も含まれていたといわれる。



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