武蔵の武士道

 大阪夏の陣により豊臣家はついに滅亡し、戦国時代が終わりを告げた。剣で身を立てる時代が終わり、泰平の世にふさわしい武士道が模索される時代、武蔵は、兵法指南役として、肥後細川藩に招かれた。やがて、死期が近づいた武蔵は、熊本城の西方の霊場、霊巖洞に籠もり、「五輪書」の完成に向けて残された時のすべてをかけた。
 「地・水・火・風・空」の五巻からなる「五輪書」では、兵法の道、剣の術理、様々な戦術、他流との違い、とらわれや迷いのない境地「空」について書き、死の1週間前に筆をおいたと言われている。
 武蔵は武士道を、太刀つかいを学ぶなかで身を修めることや世を治めることとして捉え、書画・彫刻・茶の湯・連歌・能などの芸事の道にも学びつつ、武士道を追求しようとしている。「五輪書」において、武蔵は次の九箇条をあげて求道の方法を説いている。
 よこしまな心をすて
 鍛錬を怠らず
 諸芸にさわり
 世の中の職業をよく知り
 物事の損得をよくわきまえ
 本物を見る目をやしない
 物事の本質を見抜き
 些細なことにも気をつけ
 役に立たないことはしないこと
と述べる。
 また、上に立つ者としては、「優れた人材を持ち、それぞれの個性が発揮されるよう適材適所の配置をおこない、自身も正しい行いをし、国をよく治め、民を富ませ、世の手本となるやり方を行って、ここに人物ありと名をあげることこそ武士道」と説く。
 この「五輪書」に書かれた武蔵の教えは、現代人にも適用できるように思われる。





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