武蔵最後の決闘

 御前試合は、武蔵の肥後に入国すると間もなく行われたとみられている。側近をも遠ざけ太刀持ちひとりを置いた秘密試合である。「二天記」によると、両人は木刀で立ちあい、雲林院弥四郎光成(うじい・やしろう・みつなり)は武蔵に打ち込もうとするが武蔵は光成の打ち込む気を感じて自在に構えをかえて打ち込ませない。光成ももし強引に打ち込めばやられてしまうことが分かる達人である。光成は3度打ち込もうとするがついに1度も打ち込めなかった。武蔵も忠利公の御前をはばかって光成の技を押さえていただけであった。
 そこで柳生新陰流の達人でもある忠利公自らが武蔵と立ち会うが、やはり勝てない。忠利公は驚き感心し、それから武蔵の「二天一流」の門下となったという。この後、忠利公は疝気養生として山鹿温泉に逗留し、武蔵を呼び寄せもてなしている。



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