現在の拝殿は、明治期に建立された社殿の老朽化に伴い、約150年ぶりに平成13年(2001年)に再建されました。
五穀豊穣、諸願成就など産土神として、かつては十一ヶ村の産土神として崇められていた神社ですが、時代の移ろいとともに地域毎にお社が祀られるようになり大正期には下南部地域も離れ、現在は龍田陳内の一地域だけの氏神さまとなったそうです。
しかし、古くから先人たちから受け継がれてきたこちらの神社は現在も氏子の方々や崇敬者の篤い信仰が絶えません。
それゆえ、平成13年に行われた大造営では様々なものが奉納されました。
拝殿入口の鈴緒(本坪鈴)、賽銭箱も奉納されたものです。
拝殿の扁額ですが、明治期に建てられていた社殿にも「阿蘇二宮」で掲げられていたそうです。
龍の彫刻は今にも動き出しそうな勇ましい姿ですね。
拝殿左右の彫刻は獏(バク)と狛犬が施してあり、右は阿形、左は吽形です。
(右側)
(左側)
それでは拝殿の中へ。
拝殿の左右には神様をお守りする随神像が置いてあり(格子の中)、まず目につくのが、天井にある天井絵馬「草花八十八枚」です。
四季折々の草花を1枚1枚丁寧に描かれたもので全部で88枚あります。
手書板に描かれた色とりどりの草花が見事で、一枚一枚みていたら首が痛くなりました。皆さまはほどほどに見て下さいね。
こちらも奉納されたものです。
※拝殿は通常閉まっています。見学したい方は宮司さんがいらっしゃる時に申し出て下さい
そして掲げられている大絵馬は6枚にも及び、古くは江戸時代から、最近では平成13年のものが奉納されています。
(大絵馬は全部で9枚あるそうです。不定期に変えらる可能性があります)
(「鵺退治」明和9年(1772))
鵺(ぬえ)とは想像上の動物で、頭は猿、胴体はたぬき、尾はへび、手足はトラ、鳴き声は虎鶫(とらつぐみ)のバケモノ。平成17年3月に熊本市博物館で開催された絵馬展「絵馬発見-知られざる熊本の遺産」にて熊本県内で2番目に古い絵馬と判明。鵺が描かれた絵馬としては県内最古。
(「加藤清正富士を見る図」明治24年)
加藤清正が松前藩(北海道)出身の漂流民二郎と出会って朝鮮半島から富士を見ている姿を描いた絵馬。平成17年3月に熊本市博物館で開催された絵馬展「絵馬発見-知られざる熊本の遺産」にて珍しい絵馬(加藤清正の戦姿ではない構図)三点の中の一つとして紹介された。
(「天岩戸」明治24年)
天照大神が天の岩戸に隠れた際、八百万神が集まって天宇豆女神の踊りを囲って賑やかに宴を催し何事かと天照大神が岩戸を少し開けて外の様子を伺っている場面。
(「新作天岩戸」平成13年)
先ほど紹介した明治期に奉納された天岩戸の続き場面を描いたもの。
天の岩戸から天照大神が外に出てこの世に明るさが取り戻され、八百万神が安堵した場面。
(「鵯越逆落(ひよどりごえのさかおとし」寛政2年)
源義経は一ノ谷に陣を構える平家を討つ為、鵯越(ひよどりごえ)から奇襲によって断崖のような急な坂道を一気に攻め下り、平氏を海上に敗走させた場面。
(「祈る女神」平成25年)
一見、岩戸開きでおかしな格好をして踊った天鈿女命(天宇豆女神)に見えるが、お祈りする真摯な女神の姿はそれを素直に受け入れられない。澄める夜空には望月が雲の間から明るく照らし夜を統べ治める月夜見尊(月読尊)かもしれない。と、これを見た人が自由に想像し解釈ができる幸運を呼ぶ女神の絵馬。
この他にも、拝殿内には神楽面、狂言面なども奉納されています。
拝殿奥の本殿も拝殿と同時に再建され、勧請して以来の御神体の坐像が祀られています。
また、平成27年には玉垣取り替え、階段改修及び手すり増設、石灯籠も奉納されました。
他にも、平成に襲った様々な大型台風により境内の檜や杉などが倒壊しましたが、鎮守の杜を守ろうとその後に桜の若木13本、杉苗100本、枝垂れ桜なども奉納されており、神社を守ろうとする方々の心の拠り所であることが伺えます。