シリーズ 熊本偉人伝 Vol.37  ( 旅ムック107 )
かなくり しそう
金栗 四三

日本初のオリンピック出場選手
箱根駅伝を創設した「日本マラソンの父」

1891年(明治24年)8月20日生誕〜
1983年(昭和58年)11月13日没 享年92

「韋駄天通学」で培った名ランナーとしての才能

玉名市名誉市民・和水町名誉町民で日本初のオリンピック選手である金栗四三は、2019年大河ドラマ「いだてん」で、その名は世間に広く知られるようになった。四三は明治24年(1891)8月20日、玉名郡春富村(現・玉名郡和水町)の造酒屋に8人兄弟の7番目として生まれ、父・信彦が43歳の時に生まれたことが名前の由来だという。

父譲りの虚弱体質ゆえ運動は得意ではなかったが、10歳で玉名北高等小学校に入学すると、集落の児童十数人と一緒に往復約12kmの通学路を毎日走って通学するようになる。最初は上級生に付いて行くのがやっとだった四三だが、毎日通学するうちに、「スッスッ、ハッハッ」と2回吸い2回吐いてリズムをとって走ると呼吸が楽になるという独自の理論を編み出した。誰よりも早く走るようになった頃、「ランナー金栗四三」の片鱗が現れ始める。

嘉納治五郎に認められ日本初参加のオリンピックに出場

教師を目指し、四三は明治43年(1910)4月に上京して、当時、近代柔道の生みの親で日本の近代スポーツ界を牽引した嘉納治五郎が校長だった東京高等師範学校(現・筑波大学)に入学する。勉学に勤しんでいた四三だが、1年目秋に行われた校内長距離走大会で全学年で3位に入賞する快挙を遂げた。そのことを皆の前で校長に褒められたことは、嬉しさとともに走ることに自信を持った彼の本格的なマラソン人生が始まるきっかけとなった出来事だった。

2年目には徒歩部に入り、ランナーの才能をさらに開花させると、明治44年(1911)に開催されたオリンピック国内予選会で、世界記録(非公式)を樹立し見事優勝。翌年、日本がオリンピックに初参加を果たす第5回オリンピック・ストックホルム大会(スウェーデン)に出場した。ところが、26キロほどを過ぎたところで、四三の体に異変が起きる。猛暑に見舞われた過酷なレースで熱中症になって気を失ってしまったのである。続行できず止む無く途中棄権となってしまったのだが、「棄権」の意思を記録員たちに伝えることもなく直接宿舎に帰った為、彼は「消えたオリンピック選手」と化し、四三の最初のオリンピックは終わってしまった。

様々な教訓を得たオリンピック後の指導人生

雪辱を誓い、トレーニングに励むと同時に、足袋の改良に取り組んだ四三。運動靴というものがなかった時代、ストックホルムで見た外国人の靴をヒントにゴム底のシューズを開発した。俗にいう「金栗足袋」である。その足袋は戦後まで多くの日本人選手が履いて走り、数々の記録やドラマを生んだマラソンシューズの原点となったものである。

そんな四三の奮闘も虚しく、4年後のベルリン大会は第一次世界大戦の影響で中止。その後も2大会に出場したが、いずれも納得のいく結果は残せなかった。

それでも四三は国際大会への参加から得た教訓を生かし、その後の人生をマラソン界の発展と日本スポーツの礎を築くことに奔走。大正6年(1917)には日本初の駅伝「東海道駅伝競走」を、大正9年(1920)には今では正月の風物詩となった「箱根駅伝」を彼発案の下で開催している。

スポーツを通しての教育は「体力・氣力・努力」の精神で

その後、女子スポーツの振興にも力を注ぎ、自身もランナーとして活躍していたが、大正13年(1924)に現役を引退。終戦後は熊本県体育会(現・熊本県体育協会)を作り、初代会長として県体育界をリードした。皆からも親しまれ尊敬され偉大な功績をのこす金栗四三は、金栗杯玉名ハーフマラソン(3月開催・玉名市)や金栗四三翁マラソン大会(11月開催・和水町)など今日まで続く数々の大会に彼の名前が残されて讃えられていることからも愛されたランナー・指導者であったことがうかがえる。

月日は流れ、昭和42年(1967)、四三に思いがけない知らせが届いた。第5回オリンピック・ストックホルム大会55周年記念の祝賀行事であの時に果たせなかったゴールインが計画されていたのだ。現地に飛び、75歳の四三は両手を挙げて半世紀ぶりに念願だったゴールテープを切った。その記録は54年と8ヶ月6日5時間32分20秒3。四三は「この間に妻をめとり、子が6人と孫10人ができました」と答え、会場は感動と大きな拍手で包まれた。

昭和58年(1983)、92歳で永眠した金栗四三。生涯を走ることに捧げたアスリートは、人生を最後まで全力で駆け抜けた。

金栗四三 消えたオリンピック走者(佐山和夫著)
金栗四三の生涯(洋泉社発行)
ふるさと九州先駆者伝(九州電気保安協会発行)

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