シリーズ 熊本偉人伝 Vol.42  ( 旅ムック113 )
はんな・りでる / えだ・らいと
ハンナ・リデル / エダ・ライト

明治期の熊本でハンセン病患者の救済に奔走し異国の地で生涯を捧げた二人の英国婦人たち

【ハンナ・リデル(写真右)】1855年(安政2年)10月17日生誕〜1932年(昭和7年)2月3日没 享年73
【エダ・ライト(写真左)】1870年(明治3年)2月13日生誕〜1950年(昭和25年)2月26日没 享年80

慈愛の精神と揺るぎない行動力で多くの患者を救った現代福祉の先駆け

激動の明治維新後、大日本帝国憲法の発布で信仰の自由が認められるとキリスト教宣教師が数多く来日した。明治24年(1891)にはイギリスからCMS(英国伝道協会)に属する女性宣教師たちが訪れたが、その中のハンナ・リデルと姪のエダ・ライトが熊本にもたらした功績は大きい。 ハンセン病に苦しむ人々の救済活動を献身的に続け、生涯を捧げたリデルと彼女の意志を引き継いだライト。強い信念と意思をもって活動する彼女たちの姿は、当時の患者たちにとって大きな希望の光となったことは想像に難くない。

悲惨な現状を前に結んだ誓い

リデル35歳の時、日本に来て最初に派遣されたのは熊本で、キリスト教伝道の傍ら第五高等学校(現:熊本大学)の学生たちと英会話の茶話会を行う日々を送っていた。そんなリデルに転機が訪れたのは熊本に着いて間もない4月のある日。第五高等学校の教授たちと本妙寺(熊本市西区花園)に花見に出かけた際、参道に咲き誇る桜並木の下にうずくまるハンセン病患者たちを目撃したことに始まる。 当時、ハンセン病は不治の病として恐れられていた感染症で、国内に約3万人を超える患者がいたにも関わらず公的な救済施設は無かった。戦国武将・加藤清正が建立した「本妙寺に行くとハンセン病が癒る」という言い伝えもあり、彼を祀る同寺では患者の受け入れをしていたのである。 しかし、リデルが目の当たりにしたのは、何の治療も受けられず見るも無残な姿をした人々が野ざらしで物乞いをする悲惨な状況。この日を境にリデルは自分の生涯をかけて救済活動に従事することを誓う。

国を動かしたリデルの情熱

リデルはまず、本妙寺の近くに臨時の救護所を設け救済活動を始めた。一方で本国イギリスや日本の聖職者などに協力を仰いで資金を集め、第五高等学校にほど近い立田山の山麓に4千坪の土地を購入(その後細川家が3千坪の土地を提供)し私立「熊本回春病院」を建設した。明治28年(1895)のことである。リデルは患者たちを「私のこどもたち」と呼んで慈しみ、一緒に庭仕事やスポーツ、音楽を楽しんだという。 とはいえ経営は決して楽ではなく、さらに日露戦争が勃発したことでイギリスからの送金も途絶え多額の借金を抱えることとなる。それでもリデルは日本の各界有力者たちに「ハンセン病患者の救済は国家の義務である」と訴え続け、彼女の熱意に心を動かされた、大隈重信や渋沢栄一なども彼女に協力する。そして明治40年(1907)に「らい予防に関する件」が制定され全国に5ヶ所の公立療養所が設立されたのである。しかしながら当時の公立療養所では患者を社会から隔離して療養させたことで、伝染力が強い病と間違った情報により偏見が広がってしまった。

リデルの意志を受け継ぐ姪のライト

リデルは大正7年(1918)には院内に国内初となる私立のハンセン病菌研究所を設立し、その後も納骨堂や教会堂の建設など患者の救済に奔走するが、やがて自身が病に倒れてしまう。 大正12年(1923)、その時すでに宣教師として来日していた姪のエダ・ライトが病身のリデルを助けるために熊本へ。ライトはリデルと共に患者に寄り添い奉仕活動を行なったが、リデルは昭和7年(1932)に73歳の生涯を閉じた。リデルの死後、ライトは伯母の事業を守ろうと回春病院の経営を引き継ぎハンセン病救護活動に全力を注ぐ。 しかし、第二次世界大戦の勃発に伴い敵国イギリス出身のライトはスパイ容疑をかけられ、また従来の法律が改正された「癩予防法」は強制収容が強化されるなど、送金停止などの資金的な問題や病院の対処などをめぐり、昭和16年(1941)に回春病院は解散・閉鎖となる。 リデル同様、患者である「私のこどもたち」から泣く泣く引き離されたライトは失意の中で国外追放となり友人を頼ってオーストラリアに渡るが、昭和23年(1948)に再び熊本へ帰ってくる。その時ライトは78歳。高齢のライトがいかに患者たちに強い思いを持っていたか、心は熊本にあったのだ。荒れ果てた病院跡地に住みながら、ハンセン病入所者の子どもの養育に携わったが、熊本に戻ってきてから1年8ヶ月後「神様のお恵みにより、私は幸せでした」というメモを残し、80歳で永眠。 本国を離れ、ここ熊本の地に骨を埋める覚悟をもって激動の人生を生き抜いたリデルとライト。回春病院の跡地にある納骨堂では約170名のハンセン病患者たちとともに安らかに眠る。

ハンセン病

明治6年(1873)にノルウェーのハンセン氏によって発見された「らい菌」の感染により末梢神経が冒される病気で、その後の研究で菌自体は弱いため感染しにくくまた発症しにくいことが判明する。現在では特効薬もあり完治する病気である。

取材協力/リデル、ライト両女史記念館(館長 秋山大路氏)
参考文献/
Hand To Land 1997AUTUMN(Hand To Land編集室)
愛と奉仕の日々-リデル・ライトの足跡-(リデル・ライト両女史顕彰会)
明日を拓いた九州の医療改革者たち(吉田 洋二)

PAGETOP