シリーズ 熊本偉人伝 Vol.43  ( 旅ムック117 )
たかはし もりお
高橋 守雄

39歳の若さで大正の三大事業を成し遂げ熊本市近代化の礎を築いた第7代熊本市長 

1883年(明治16年)1月1日生誕〜1957年(昭和32年)5月6日没 享年74

在任期間は大正11年1月〜14年7月までの約3年半。(写真提供:熊本市)

脅威のスピードで難題に着手、若き政治家としての手腕

約100年前の大正時代、熊本市を近代都市へと発展させる基礎を築き令和の世になってもなお名市長と称えられる人物がいる。その名は高橋守雄。高橋は熊本市における「大正の三大事業」と呼ばれた「歩兵第23連隊の郊外移転」「市電(路面電車)の敷設」「上水道の開設」を完遂させたことで知られるが、特筆すべきは、これらがわずか任期3年内での功績であるということである。 惜しまれながら熊本市長を辞任した後も県内外で数々の偉業を成し遂げ、その後熊本市名誉市民となった高橋守雄の才能と手腕を追っていこう。

警視庁に入庁した高橋守雄がなぜ熊本市長に就任したか

高橋は明治16年(1883)1月1日、熊本県上益城郡の矢部町(現:山都町)で長男として生まれた。父・彌八郎は当時、矢部地方の官有雨林の管理者で先祖は肥後藩細川家に仕えた権威者。遡ると明智光秀ゆかりの家だという伝承もある。

幼い頃から頭脳明晰で努力家だった高橋少年は、済々黌高等学校、旧制第七高等学校(鹿児島大学の前身)、東京大学とエリートコースを進み、東大卒業後は熊本出身の亀井英三郎総監の知遇を得て警視庁に入庁した。翌年には警視となり各県の警察署長や警察部長を務めている。大正10年(1921)に京都府内務部長を経て、内務事務官兼内務監察官に起用されるが、これは熊本市長に転出するための準備に過ぎない。と言うのも、当時の熊本政界は市議会党派の対立抗争が激しく、市政の遅れが目立っていた。中でも先に述べた三大事業は長年の懸念案件で、事業を進める為には現熊本政党所属の人材では解決しないという世論の声もあり、熊本出身の中央政治家に協力を仰いで市長候補者を選定してもらう必要があった。そこで高橋が推挙され、政党に縛られず施策を実行できるという等の条件付きであればと高橋は大正11年(1922)熊本に赴任、晴れて市長の座に就いたのである。

わずか3年という驚異的な早さで三大事業を推進

熊本市長となった高橋がまず取り組んだのは、市の中心部にある歩兵第23連隊の移転だった。当時の連隊は花畑屋敷跡(現:花畑公園)にあり、前市長の辛島格氏が新市街(現:熊本市中央区新市街)を造成したものの隣接する連隊が中心部発展に大きな妨げとなっていたのである。市は広大な連隊跡地と陸軍付属地の払い下げを受けて郊外(大江町渡鹿)移設に成功した。 それが終わると、次は市電(路面電車)の敷設に乗り出す。当時走っていた熊本軽便鉄道の経営が悪化し、世論は電車市営論に傾いていた。高橋もこの説を推し、大正13年(1924)8月に熊本駅〜浄行寺間(現在は一部廃線)と、水道町〜水前寺間で市の経営として運行を開始。その際、市電(路面電車)が白川(一級河川)を渡るために必要として、新たに造られたのが大甲橋である。 さらに高橋は、上水道の開設にも尽力する。明治時代は、井戸水を飲料水として使えるのが全体の約65%ほどであった。下水道も整備されておらず、伝染病が蔓延していた。市民からは上水道の開設を熱望されたが、財政面や農民の反対もあり、事業として進んでいなかったのである。そこで高橋は、八景水谷に井戸を掘り、汲み上げた水をポンプで立田山に上げて水を流すという方法を提案。これが採用されて水道が完成し市民は安心して水を飲めるようになり、病気も減ったという。 この三大事業が政党(政治家)・役所(役人)・住民の理解を得られ、3年という年月で完遂したのは高橋守雄という人物が政治家としていかに才能があったのか言うまでもない。

地方長官を経て帰熊後、全学一家の教育魂を注ぐ

その後も市庁舎の移転や三大事業記念共進会の開催に躍進した高橋。熊本市を「大熊本市」として発展させ、市民の生活の利便性に多大な影響を与えたがここでの仕事はやり終えたと、任期終了を前に突如辞意を表明する。辞任後は滋賀県や長野県など地方の長官として手腕を振るい、その後警視総監に就任。帰熊後は、新たに教育者として、また学校経営者として頭角を現すこととなる。 昭和21年(1946)に熊本語学専門学校の第3代理事長に就任し、昭和25年(1950)には県下唯一の二年生短期学校を、昭和29年(1954)には四年制大学の熊本商科大学を設立。現在の学校法人熊本学園の礎を築いていく。 昭和31年(1956)には付属敬愛幼稚園の設立を果たしたが、その約1年後、74歳でこの世を去った。熊本学園と熊本市による合同葬が行われ、彼の魂は今も本妙寺に眠っている。 中央政府の後押しと市民の協力を仰ぎながら、生涯にわたり死力を尽くした高橋。現在も市内を走る市電(路面電車)は熊本市のシンボルとして親しまれ、熊本学園には高橋の理念「全学一家」の精神のもと、学業に励む学生・生徒・園児が多数通う。

参考文献/
熊本の100人
郷土読本 夢の実現を ふるさとくまもとの人々
(発行:熊本市教育委員会)
高橋守雄先生伝(内田守著)
近代熊本の巨人(徳永洋著)

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